(3)新宿〜戦争〜ジャワ

 この孤独な画家蓊助を励ましたもう一人の芸術家に登場願おう、俳人の石田波郷である。蓊助はこう描写しています。
・・・お互いに本音を吐かないのだが、しんでは相手をよく呑み込んでいる態の、ある時はさらりとし、或る時は主張を曲げぬのだが、それで喧嘩をすることもなかった。救いがたい孤独の魂が持ちつ持たれつしていたわけだ。...

 −一春月や 哀れ新宿三丁目−−

 ところで石田汝郷は四国松山中学で洲之内徹と同級生、何年前になりますかビルから飛び降り自殺をした俳優大友柳太朗も同級生、松山中学花の三人組だったとは洲之内さんの弁。鳴呼『気まぐれ美術館』なのですネ。 憲はこの初個展で画壇デビューを果たす。蓊助のほかに画家の野口弥太郎、山本正、森芳雄、雑誌『セルパン』の編集長の大島豊、そしてそこに務める落合菊(後の吉岡憲の夫人)らと出会う、いずれもその後の憲と大きくかかわる人達。

 次第に戦時色が濃くなり昭和17年、憲は軍属としてインドネシアのジャワヘ渡るのですが、このころの憲を記録している不思議な本を紹介しましょう。山口晋平と言う人の随筆集『白い役人』『人生瓢々』(1952)北書房刊です。表紙の装画は吉岡憲。

 おでん屋・易者・露天商・劇団を組織し自らも役者として出るなどかなり風変わりな経歴の山口さんは、馬来語を独習した彼は軍の通訳としてジャワへ赴き、軍の宣伝部員として来ていた憲と出会うのだ。『白い役人』の中の"通訳日記"の所に画家は登場する。

 −−一吉岡氏との会話は実に愉快だ。内地を出てから、はじめて妥協、条件抜きの会話をした。画家の行動は常識的とは言えないが、知識は広いようだ。音楽家は肉体訓練に時間をとられるので、外の部門に立ち入る閑が無いらしい。とにかく実に愉快だった。

 外地でのこの交友が戦後も続き、著書への装画のプレゼントとなったのか。波止場のスケッチと浅草六区の映画待スケッチとが使われている。山口氏の著書には凱外に、富永太郎・大岡昇平・中原中也・杉本良吉・鷹樹壽之介(後の菊岡久利)・古谷綱武・・・続々と『気まぐれ』的に登場します、でもこの人物が出てくることには驚きました、日比谷の公会堂で講演中の浅沼稲次郎を刺殺した少年山口二矢も登場するのです、著者の次男にあたります。

(続く)

Yoshioka コラム

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